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東京高等裁判所 昭和51年(ネ)2171号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

【判旨】

一被控訴人水林が、昭和三三年八月五日、被控訴人浄滝寺住職に任命され、被控訴人浄滝寺寺院規則により同被控訴人代表役員に就任したこと、増田管長が、昭和三四年二月二八日被控訴人水林について、被控訴人浄滝寺住職を解免し、同年三月一六日控訴人を被控訴人浄滝寺住職代務者に任ずる旨の処分をしたことは、当事者間に争いがない。

二控訴人は、被控訴人水林の被控訴人浄滝寺役員たる地位は、増田管長によつて、被控訴人浄滝寺住職を解免されたことによつて失われたと主張し、被控訴人らは、右解免の効力を争うので、先ずこの点について判断する。

<証拠>によると次の事実が認められ、これに反する証拠はない。

昭和三三年四月二八日施行され、翌昭和三四年当時効力を有していた日蓮宗宗憲(以下「宗憲」という。)は、住職及びその代務者を承認又は任免することを管長の職務権限と定め(宗憲一七条六号、なお、<証拠>によると、その後、昭和三七年四月一八日施行の日蓮宗宗憲の一部改正により、住職等の承認、任免は、宗務内局が行うように改められた。改正宗憲第二一条第三項。)、別に懲戒についての規定を設け、日蓮宗の宗制を遵守し寺院及び教会を護持するために懲戒を行い(宗憲六四条)、懲戒処分は、審査会の決定に基づいて宗務総長が行う(宗憲六五条)こととし、懲戒の種類として、住職の罷免を定めている(日蓮宗規程第三二号懲戒規程―以下「懲戒規程」という―一条一項、四項)うえ、懲戒事由及び各懲戒事由について適用すべき懲戒処分の上限を具体的に定めており(懲戒規程六条ないし三五条)、さらに、審査会は、非行について審査し、決定及び判定し又は裁決する旨定めている(宗憲三二条)。そして、宗憲、日蓮宗規則(以下「規則」という。)及び日蓮宗規程(第一号ないし第三二号の規程の総称、以下「規程」という)を検討しても、一旦任命され、あるいは承認された住職について、右懲戒の手続によらず、その意思に基づかないで住職を免ずることができるものとする特段の定めは見当たらない。

宗憲、規則及び規程(以下「宗制」と総称する。)における以上の各規定に照らすと、日蓮宗においては、本人の意思に基づかないで住職を免ずるについては、懲戒による場合に限定し、その事由、手続についても厳格に成文をもって定めているのであって、懲戒の手続によらずに、管長が、住職としての適格性等を判断し、裁量をもつて住職を免ずる、いわゆる分限的処分は、認めていないものと解するのが相当である。

したがつて、宗憲一七条に、住職及びその代務者(以下「住職等」という。)を免ずることが管長の職務権限と定められていることをもつて、管長の裁量により住職等を免ずることを認めた趣旨に解することはできず、同条に、住職等を免ずるとは、審査会の決定に基づき宗務総長より罷免以上の懲戒処分を受けたため住職の職を失つた者について住職を罷免すること(規則七六条二項、懲戒規程三七条三項)及び住職代務者の代務期間が満了したときにこれを解任すること(規程一八号住職担任教導選定規程―以下「選定規程」という―二〇条三項)並びにこれに準ずる場合、すなわち、現住職等の本人からの退職申請に基づく退職を承認すること及び宗制によつて住職等の職を失つた者について、これを手続上明確にするため、確認行為として解任処分を行うこと等をいうのであつて、同条は、叙上の処分を行う権限が管長に属することを定めたものと解すべきである。

成立に争いがない甲第八五号証の一、二(浄滝寺訴訟記録)によると、日蓮宗において、昭和二一年八月一九日青森県咸應寺住職横山秀客を、当時の管長代務者馬田即貞が解職し、昭和二八年一二月二三日岡山県蓮光寺住職八木慈文を、当時の総監増田日遠が解免し、昭和三三年六月一三日東京都上行寺住職荒木臨皎を、当時の管長増田日遠が解免した例のあることが認められる。ところで右解免ないし解職処分のうち、荒木臨皎に対する解免については、その理由が「退職に準じて解免措置とした」と記載されてあるのみで必ずしも明らかではないが、その文言に照らして本人の意に反する解免であつたことは認められず他の二名については、右甲第八五号証の二の記載によると、住職の職にある者について、特選により、他寺の住職に任命したため、従前の住職を解任されたものであることが認められる。前顕甲第一九号証によると、宗制において、清澄寺住職及び寺院を新設する場合の住職を除くほか、住職は他の寺院の住職となることはできないとされ(選定規程二一条)、特選により他寺の住職に就任する以上、従前の住職の地位を当然喪失することになるところ、その確認手続を簡易に行うために解免ないしは解職の措置をなしているものと解される。さすれば、これら十二年間に三例の解免ないし解職の措置は、宗憲一七条六号の権限内の措置と解すべきであるが、いずれも法華宗管長もしくは同宗総監の裁量により、住職に対しその意に反して職を免ずる解免ないし解職権を行使したものであるとはいえず、ほかにこれを認めるだけの証拠はない。

してみれば、増田管長のした解免によつて、被控訴人水林の被控訴人浄滝寺住職たる地位が失われた旨の控訴人の主張は、失当であるといわなければならない。

三控訴人は、被控訴人水林は浄滝寺住職就任前に、予め住職退職願を提出していたところ、増田管長による住職解免により退職の効力を生じ、住職の地位を失い、その結果被控訴人浄滝寺代表役員の地位を失つた旨主張するのに対し、被控訴人らは、被控訴人水林の浄滝寺住職就任は、同被控訴人が提出した住職退職承認申請書を前提とせず、住職就任を承認された結果によるものであり、そうでないとしても、解免の措置により、住職退職の効果は生じない旨主張して争うので判断する。

被控訴人水林は昭和三三年六月二〇日増田管長に対し、住職退職承認申請書を提出した事実は当事者間に争いがなく、増田管長が、昭和三四年二月二八日被控訴人水林について、被控訴人浄滝寺住職を解免したことは、一に前叙したとおりである。

右の当事者間に争いがない事実と、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人浄滝寺住職であつた遠藤宣徳(以下「宣徳」という。)は、控訴人を後継住職とする意図で、昭和二四年九月六日控訴人と養子縁組をしたが、後継住職とするための手続をとらないうちに、昭和三〇年四月一五日死亡した。控訴人は、宣徳の死亡後浄滝寺住職になることを希望したが、そのためには干与人による選定を受け、総代の同意を得て、日蓮宗管長の承認を受けることを要する(選定規程八条)ところ、被控訴人浄滝寺の総代三名のうち一名犬山銀次郎(以下「犬山」という。)は、宣徳の生前被控訴人浄滝寺の財産処分につき不正があつたとして、宣徳及び他の二名の総代であつた松本梅吉、横打俊太から排斥され、昭和二九年一〇月二〇日総代を解任する旨の決議がなされ、当時右三名から犬山にその旨通知されたなどの経緯があつて、控訴人が後継住職に就任するについては犬山の同意が得られなかつた。そこで、控訴人は、犬山を除く他の二名の総代の同意を得たうえ、干与人であつた被控訴人水林に、控訴人を被控訴人浄滝寺住職に選定のうえ管長の承認を求めて欲しい旨懇請したが、被控訴人水林は、犬山の同意を要するとしてこれを拒み、犬山は、控訴人が住職に就任することに反対した。そこで、控訴人及び犬山を除く他の総代らは、控訴人を後継住職に就任させるべく、直接日蓮宗内院、増田管長らに申入れたが聞き入れられなかつた。宗制によると、住職が欠けたに拘らず、三か月を経過して後継住職承認の申請がないときは、代務者を置くべきものと定められていた(選定規程一〇条)ため、増田管長は昭和三〇年七月二二日被控訴人水林を、被控訴人浄滝寺の住職代務者に選任し、同年八月四日発送の郵便により、犬山にその旨を通知した。他方、控訴人を住職に選任しないことを不満とする控訴人及び犬山を除く他の総代らは、被控訴人浄滝寺の包括団体である日蓮宗から、被控訴人浄滝寺を離脱させることを決意し、昭和三〇年七月一三日、控訴人を被控訴人浄滝寺の仮代表役員に選任する旨の横浜地方裁判所の決定を得たうえ、同月二三日被控訴人浄滝寺の規則を改正して、日蓮宗の被包括を離脱することを決し、そのころその旨日蓮宗に通知した。浄滝寺後継住職についての紛争は、控訴人、被控訴人浄滝寺と被控訴人水林、日蓮宗間で民事訴訟により争われる事態にまで発展したため、増田管長は、これを話合いによつて解決すべきものと考え、控訴人及び被控訴人水林に説得を試みた。被控訴人水林と犬山は、控訴人を被控訴人浄滝寺の住職に就任させることに強く反対し、被控訴人水林を住職に就任させるよう主張し、昭和三二年六月二四日被控訴人水林を後継住職候補者とする住職承認申請書を提出したのに対し、控訴人及び被控訴人浄滝寺の多くの檀徒らは、控訴人を後継住職とすることを強く希望し対立したが、増田管長の説得の結果、被控訴人水林は、面目上も同被控訴人に住職に就任することを譲ることはできないが、一旦住職に就任することさえできれば短期間で、増田管長が相当と認めた時期に、後継住職に控訴人を推せんして住職を辞職するとの増田管長の和解案に従つてもよいとの意向を示すに至つた。増田管長は、被控訴人水林の右意向に沿つて解決すべく、控訴人からも、増田管長に一任する旨の了解を取りつけたうえ、被控訴人水林からは、昭和三三年六月二〇日ころ、被控訴人水林名義の、増田管長宛浄滝寺住職退職承認申請書(甲第一七号証)及び遠藤宣耀(控訴人の旧名)を住職候補者に選定したので承認されたい旨記載した、被控訴人水林作成名義、増田管長宛住職承認申請書(甲第一八号証)を、いずれも作成日付欄を空白にしたまま提出させ、また、控訴人からは、同年七月二九日ころ、浄滝寺問題については白紙をもつて一切を増田管長に任せる旨の誓約書(乙第五号証)を提出させたうえ、増田管長は、同年八月五日被控訴人水林が被控訴人浄滝寺住職に就任するのを承認した。ところが、増田管長の措置に不安を感じた控訴人は、右承認の日の前日である同月四日午前中に、増田管長に宛てて、さきに、誓約書によつてした、白紙をもつて一切を増田管長に任す旨の誓約へ以下「白紙委任」という。)を取消す旨記載した内容証明郵便を発送し、同郵便は、増田管長が被控訴人水林の住職就任を承認したころ、日蓮宗宗務院に到達した。(その先後については、被控訴人水林本人の原審及び当審における供述中に、同被控訴人が住職に承認された日の前日に到達した趣旨の供述部分があるが、右供述部分を採用できないことは後に判示するとおりであり、これを確定するだけの証拠は見当らない。)。その後、控訴人は、右白紙委任を取消したことの誤りに気付き、同年九月ころ、当時の日蓮宗宗務総長永倉唯嘉を介して増田管長に対し、さきにした白紙委任状取消の意思表示を撤回する旨申し入れ、増田管長はこれを了承した。ところが、控訴人が、増田管長に対し白紙委任を取消す旨の意思表示をした事実を聞き知つた被控訴人水林は、昭和三四年二月五日付書面により、増田管長に対し、控訴人が白紙委任を取消したので、被控訴人水林がさきに増田管長に交付した、住職退職承認申請書及び控訴人を後継住職に推せんする旨の書面上の意思表示は、一切取消す旨申入れた。増田管長は、昭和三四年三月一七日の任期満了を控えて、管長在任中に浄滝寺住職問題を結着させようと考え、そのためには、被控訴人水林の浄滝寺住職を承認するに先立つて被控訴人水林との間で合意したところに基づいて処理するのが相当であり、被控訴人水林の前記取消の申入れは許容しえないと考え、同被控訴人に浄滝寺住職を退職するよう説得したが、同被控訴人はこれを拒否し、説得に応じなかつた。しかし、増田管長は、被控訴人水林の住職承認は、紛争解決のための措置として、同被控訴人の同意のもとに、暫定的なものとしてなされたものであり、かかる前提のもとに住職に就任した後になつて、その前提である合意を取り消すのは、背信行為であつて許容し難く、あくまで、予め受領ずみの退職承認申請書に基づいて処理し、退職させるべきものと考え、日蓮宗宗務内局法務局長であつた高橋海定に、その意向を告げるとともに、被控訴人水林から交付されていた前記退職承認申請書を手渡して、然るべき処理を命じた。高橋海定は、増田管長の右意向に従つて処理すべく、昭和三四年二月二八日、被控訴人水林が浄滝寺代務者、住職に就任後、一回も浄滝寺に足を踏み入れたことがなく、堂宇は荒廃に任せ檀徒の協力を得られず現状のままでは正常の運営は覚束かないとの理由を付して、被控訴人水林を解免すること並びに控訴人を被控訴人水林解免後の住職代務者に任命することを、持廻り方式による院議に付して決定し、これに基づき、同日、増田管長は、被控訴人水林につき、被控訴人浄滝寺住職を解免した。ちなみに、増田管長の日蓮宗管長としての四年の任期は、昭和三四年三月一七日限り終了したが、増田管長の任期が同日終了することは、被控訴人水林もかねて知つていた。

被控訴人水林本人の、原審及び当審における供述中には、同被控訴人が被控訴人浄滝寺住職就任を承認されるに先立つて増田管長に交付した浄滝寺住職退職承認申請書及び控訴人を浄滝寺住職に推せんする旨の書面は、単に、増田管長から、紛争解決のため書いて欲しいと言われて書いたもので、住職就任後短期間で退職し、後任に控訴人を推せんするなどの具体的な合意はなかつた趣旨の供述部分がある。しかし、右供述部分は、同被控訴人が自ら書いた右二通の書面の文意に明らかに反するばかりでなく、<証拠>中「自分が一ケ月でも住職して(原文のまま)退職するのだから良いではないかと思つた」との被控訴人水林の発言を記録した部分及び<証拠>に照らし到底採用し難い。また、<証拠>中、昭和三三年八月五日午前中に増田管長から日蓮宗宗務院に呼ばれ、前日(四日)に、控訴人から白紙委任状を取消す旨の通知があつたことを告げられ、増田管長は控訴人を口汚く罵つたうえ、これまで円満解決のためになされた話合いは一切御破算となつた、正式に住職に就任することを承認すると言われた旨の供述部分があるが、<証拠>によると、控訴人が白紙委任を取消す旨の書面を発送したのは昭和三三年八月四日午前八時から一二時の間であり、<証拠>によると、右郵便物が日蓮宗宗務院に到達するのは順調に経過しても翌五日午前中で、それ以後になることもあると認められるのであつて、五日に増田管長が右のような発言をしたと認めるのは不自然であるし、仮に、五日午前中に控訴人発信の前記書面が宗務院に配達されたとしても、これを披見した増田管長が、直ちに被控訴人水林を浄滝寺住職とすることを決断し、同日午前中に同被控訴人を呼出して辞令を渡したとするのも容易に首肯し難いところであり、<反証判断略>。

叙上の事実関係に基づいて判断すると、被控訴人水林の同浄滝寺住職就任は、紛争解決のために、暫定的に同被控訴人を住職としたうえ増田管長の適当と認める短期間内に同被控訴人において退職する旨の被控訴人水林と増田管長との間の合意に基づいて、増田管長によつて承認されたものと認めるのが相当であり、住職退職承認申請書提出の趣旨並びに被控訴人水林が被控訴人浄滝寺住職に就任するに至つた前叙経過に照らすと、その後の事情の変化、推移によつて、就任の前提として提出された住職退職承認申請書による退職承認申請を撤回することはできず、撤回しても撤回の効力を生じないと解するのが相当である。

ところで宗制上、解免或は解任の名において、本人の意に反して住職を免ずることが認められていないこと、しかし、住職が宗制上当然その職を失うべき場合に、簡易かつ確認的な処置として管長の名において解免(解任)の処置をなしていたことは、前叙二において認定したとおりである。

そこで、増田管長のなした被控訴人水林に対する解免の処置についてみるのに、同処置がなされるに至つた前叙経過に照らすと、右解免は、同管長が、浄滝寺住職の地位をめぐる紛争解決のための一連の措置として、被控訴人水林からあらかじめ徴していた退職承認申請書が同管長の手裏にあることを前提としてなしたものであることが認められ、増田管長は、住職退職申請に対する承認の措置をもつて対処しようと努めたが、被控訴人水林の退職時期決定を委ねられた増田管長の残任期を知る同被控訴人が、たつて同申請の効力を争い説得を拒否しているところから、増田管長は、管長としての任期終了を一か月内に控え、同被控訴人の浄滝寺住職たる地位は、退職申請に対する管長の承認によつて失われるべきことを当然とし、これを一層明確にし、機を逸することなく和解の実効を確保する趣旨で、短期間内に退職の時を決定する承認を同被控訴人に与えるべく、従前から簡易かつ確認的措置として行われて来た解免の方法を宗門内の紛争収拾の途として選択したものであると認めることができる。以上の事実関係の下においては、増田管長のした被控訴人水林に対する解免の措置は、同被控訴人の退職申請に対する承認の効力を有するものと解するのが相当である。

さすれば、被控訴人水林が、退職承認申請に対する管長の承認により、浄滝寺住職の地位を失い、その結果同寺代表役員の地位を失つたものといわなければならない。

被控訴人らは、被控訴人水林が増田管長に交付した住職退職承認申請書は、様式に反し無効である旨主張する。

なるほど、<証拠>によると、規則において、寺院には干与人、総代を置くものとし、干与人は住職の進退に関する事項について協議する旨規定されており(規則五八条五項、五九条三項)、選定規程においては、住職が退職しようとするときは、その理由を具し、干与人及び総代の同意を得て管長に申請しなければならない旨の定めのあることが認められる。しかしながら、右干与人、総代の同意は、住職の退職が、寺院の運営に影響を及ぼすところが少なくないところから、不都合な時期に、或は衝動的に退職が行われることを防止し、慎重に行わしめる配慮に出たもので、任意に、合理的な理由により退職しようとする住職について、干与人、総代の同意がないとの理由で、強いてその地位に留まらしめる趣旨とは解されないし、被控訴人水林が、退職承認申請書を提出するに至つた事情が前叙のとおりであつて、当時においては、被控訴人浄滝寺の正常な運営が期待できず、これを収拾するために退職承認申請書が提出された経過に照らすと、干与人、総代の同意のないことをもつて、退職の効力発生が妨げられるものとは解されない。従つて、当時浄滝寺に干与人が欠けていたか否か、総代が何人であつたかについて判断するまでもなく、被控訴人らの右主張は採用することができない。

(園部秀信 川上正後 渡邉等)

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